太地NAVI in Jimdo

風光明媚な太地町の非公式観光情報サイトです。
古来より捕鯨で栄え、現在では捕鯨文化を受け継ぎつつ鯨と生きる町、太地町の観光を応援しています。
他にも太地町を理解するための様々な情報を掲載していく予定です。

太地町の森浦湾方面から本浦方向を望む

太地町のジオサイトについて

南紀熊野ジオパークとジオサイトについて

ジオパークとは、様々な地形を楽しむ公園のようなもので、それと同時にその成り立ちから現地にに住む人達の営みを合わせて考える試みをいいます。
南紀熊野ジオパークは、新宮市・白浜市・上富田町・すさみ町・那智勝浦町・太地町・古座川町・北山村・串本町の9市町村の範囲のジオサイト(ジオパークを構成するポイントのことで、見学するに値する場所のことです)と、当該地域の人たちの生活や歴史、文化が含まれ、太地町では以下の4つのジオサイトが含まれています。
それとともに、太地町の地勢や捕鯨文化なども、その中には含まれているようです。

 

太地町のジオサイトについて、詳しく知りたい方は、「ペンションゆう」に宿泊するといいかもしれません。
こちらは「たいジオ。」という太地町を中心としたジオパーク普及活動をされている女将さんがみえます。話好きな方なので、お話を聞かせてもらうといいでしょう。

和田の岩門(せきもん)

和田の岩門(「いわもん」と書いて「せきもん」と読みます)は、風化作用によって岩に穴が開いたものです。
その昔、この内側には太地の捕鯨を司っていた和田氏の東屋敷のあり、この岩穴を通用門としていたことから「和田の岩門」や「和田の岩屋」などと呼ばれていました。

当時の和田氏の財力は相当のもので、この東屋敷は5000坪というとても大きなものでした。

しかし、1878年(明治11年)の12月24日に起きた「大背美流れ」によって太地の捕鯨事業は壊滅的な被害を被り、当時の和田氏の宰領であった「太地覚悟」は、その復興のためにほとんどの私財とともにこの屋敷も失いました。
今は、この岩門をくぐると、狭いですが味わい深い路地が続いており、太地の町中を歩く楽しみがわかる場所でもあります。

梶取崎

梶取崎は灯台(梶取埼灯台)がある公園で、太地町の南の方にあります。
その昔、燈明崎(東明崎)に日本最古の灯台が紀州藩によって設置されましたが、明治時代になるとさらにこの辺りを往来する船が増えたため、1899年も木造の灯台が梶取崎に作られました。

その後1916年の大暴風雨によって一度は消失しましたが、鉄筋コンクリート製の白亜の灯台に生まれ変わり、改装を数ド重ねて今に至ります。

 

梶取崎の公園の敷地内には、以前は売店があったり、植物園や観鯨荘(かんげいそう)という施設があったりしましたが、現在は隣接する「ホリスティック・スペース・ジャパン」というホテル以外に目立った施設はなく、セミクジラを模した「くじら供養碑」と町指定天然記念物の「夫婦イブキ」があるだけとなっている。

 

この公園で迎える日の出はとても素晴らしく、太地に来られた方に「もし時間があったら、ここから朝日を見て欲しい」とお願いしてしまうほどにオススメなのですが、町の中に宿をとってしまうと、ここまで来るのが難しくなるので、レンタサイクルなどを借りておくといいかもしれません。

また、ここから燈明崎につながる遊歩道は、熊野灘の絶景を見ながら気分の良い散歩が楽しめるので、こちらもオススメです。

燈明崎

太地港の横にある平見の坂を登り、太地中学校の方に進むと、古式捕鯨の時代に鯨を探す「山見」のあった燈明崎にたどり着きます。

燈明崎はその昔は太地崎や室崎とも呼ばれていたが、1636年に日本最古の灯台ができたのをきっかけとして、名前が灯明崎(とうみょうざき)となり、その後東明崎という表記に変わったが、今は燈明崎という表記になっている。


現在、ここには灯台はなく、江戸時代の灯台を復元したものと、山見に使われた山見台が復元されたものがある。

梶取崎からつながる遊歩道は、ここまで続いていていますが、太地中学校付近の三叉路からの一本道には、吉備真備が漂着した場所を記す石碑などがあり、突端近くには御崎神社という小さな祠がある。
また、三叉路付近には金刀比羅神社がある。

 

※ここも朝日を見るにはいい場所ですが、9月~翌年の2月末あたりまでは、反捕鯨団体の活動家らが町中を徘徊することがあり、特に朝方はここで追い込み漁の漁船の様子を監視しているため、この時期の朝の散歩で立ち寄るのは、できれば避けた方がいい。

活動家に何かされる可能性もないわけではありませんが、それよりも監視をしている地元警察官に職質を受けることが懸念されます……。

伴待瀬海岸のダイアピル

太地小学校の前の道を、下里の方に向かい、太地清掃センター「はまゆう」の手前の路地をくだっていくと、河立という場所にたどり着きます。
ここは、子供たちの自然学習のために使われることも多く、またホタルが見られる場所とのことで、時折話題にもなる場所なのですが、その河立を横切り、海を目指して歩いて行くと、風景は一変して玉石の敷き詰められたような海岸と、地面から盛り上がった大きな岩の数々を見ることが出来るでしょう。

これはダイアピルといい、地下深くにあった泥を多く含む岩石が地下の水圧によって液状化し、その上の地層に割り込んだものです。

伴待瀬とよばれるこの場所も、太地の人たちには馴染みの深い場所で、遠足の時などに来たことがあるという話をよく聞きます。

恐らく、ここも日の出待ちをするには良いスポットだと思うのですが、場所が場所だけに、一人で来る勇気が出ないのが残念です。