太地NAVI in Jimdo

風光明媚な太地町の非公式観光情報サイトです。
古来より捕鯨で栄え、現在では捕鯨文化を受け継ぎつつ鯨と生きる町、太地町の観光を応援しています。
他にも太地町を理解するための様々な情報を掲載していく予定です。

太地町の森浦湾方面から本浦方向を望む

太地町立くじらの博物館について

町の中心的な存在

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くじらの博物館は、社会教育の一環として、故庄司五郎町長によって発案され昭和44年(1969)に開館した施設です。

捕鯨の近代化に伴い、この国から古式捕鯨に関する資料が徐々に失われていく中、そのあり方が忘れられていく実情を憂い、古式捕鯨発祥の地である太地町に、捕鯨に関する資料を網羅し、それを展示し、さらには鯨類の生態を研究調査するための施設として建設されました。

 

平凡社から発行された「鯨に挑む町 熊野の太地」という本のむすびに、庄司五郎氏はこのようなことを書いています。

 

”てっとり早くいうと、太地人は太平洋を、国際的な鯨の保育場・養殖場にしたいのである。

そのために鯨の水族館をつくり、試験場・博物館を建設したいのであり、観光客にわんさと来てもらって、南国的風景を満喫されると同時に、金をうんと置いていただいて、これを太平洋鯨保育運動の資金として使用させてもらいたいのである。そのために捕鯨史の編纂や本著を刊行したのである。幸いに、太地はそうした運動の基地とするには好適の地の利を得ていると思う。屈曲の多い東・西・北、三方の地勢、南は果てしない太平洋、風土・気候・潮流、すべての好条件がそろっている。といって、この地に固執するほど、ケチな利己心を持っているわけではないが、太平洋沿岸を調査研究した限りでは、最適値であると思う。
「まあ、それは夢だね、空想だね」といわれるだろう。笑われるだろう。太地人としては途方もない大きな夢だと自認している。しかし鯨と共に生きて来た太地人は、たとえ一〇年かかっても、よしや一〇〇年かかっても、これが実現を見るまでは、捨ててはならぬ夢だと決意している。それが日本民族に対する、世界の諸民族に対する、太地人の背負っている任務だと決意している”
 

上記の引用からも、この博物館の置かれている立場や使命がわかるのではないかと思います。
そして、今も太地という町の中心的な存在であり、観光の中心でもあるといえるでしょう。

 

そして現在、「森浦湾鯨の海構想」が進んでいるようですが、そのルーツは庄司五郎氏の想いにあったのではないかと思います。

鯨の大きさを実感!

博物館の館内に入ると、天井から吊るされている大きな背美鯨の模型に驚かされるでしょう。
この実物大の鯨の模型の他に、実物大の勢子船もあり、江戸時代に行われていた捕鯨の様子がわかるようになっている。
一階には、当時の太地周辺の様子を表したジオラマ(鯨を追う漁師たちの船も再現されている)や、三階には当時使われていた銛や道具、そして近代の捕鯨で使われるようになった捕鯨砲などの実物が展示されている。

他にも、鯨の骨格標本(屋外には最大の鯨であるシロナガスクジラの骨格模型がある)や、実際に捕獲した鯨から採取した様々なサンプルが展示されている。

一見おぞましく見えるかも知れないが、それらはすべてイルカや鯨が人間と同じ「生命」であり、その生命への共感を深めるひとつの方法論だと考えると、また別の見方が出来るかもしれません。

勉強になる生体展示

太地町立くじらの博物館は、イルカや鯨の生体展示をおこなっています。
生きているイルカや鯨を飼育し、ショーを通じてどのような生き物なのかを見学者に知ってもらうことがその目的ですが、どうもそれを感情的に批判する人たちがいるようです。
上の動画は、その1シーンですが、これらの行動は無理に何かをさせているわけではなく、イルカや鯨の習性や性格を見極めながら、できることを伸ばしているだけなのです。
 

また、自然界でわからないことも、こういった展示によってわかることもあり、それが後の研究に活かされるのです。