太地NAVI in Jimdo

風光明媚な太地町の非公式観光情報サイトです。
古来より捕鯨で栄え、現在では捕鯨文化を受け継ぎつつ鯨と生きる町、太地町の観光を応援しています。
他にも太地町を理解するための様々な情報を掲載していく予定です。

太地町の森浦湾方面から本浦方向を望む

寺社仏閣について(水ノ浦地区編)

ここでは、向島と水ノ浦地区にある神社や寺院についてまとめています。

太地町はかなり昔からある町ですから、その規模に反して神社の数が多く、また太地町の歴史や古式捕鯨を語る上で重要な寺院もありますので、それらを巡る旅というのも興味深いかもしれません。

なお、中にはわかりにくい場所もございますので、その場合は町の人に訪ねてみてください。
太地の人は皆親切ですから、丁寧に質問すれば、きっと教えてくれると思います。

弁天さま

現在は水ノ浦と暖海が埋め立てられたために陸続きになっていますが、町役場の裏手にある、いわゆる「まんぷく山」は向島といい、文字通り島でした。

更にさかのぼると「楞伽島(うがじま)」と呼ばれていたことが、飛鳥神社に保存されている「楞伽島記」という文献に記されているそうです。

紀伊続風土記によると周囲半里(=2キロメートル)程度の小さな島で、鯨を捕るための道具が納められていた納屋があり、それらを「大納屋」といったそうです。

 

また、太地浦では鯨の他にも鮪や鰹などの漁業なども行われていて、この島にその生き餌の小魚を常時用意しておくための生け簀構築していたとも伝えられています。

 

島の山頂には捕鯨の際の山見や狼煙場が置かれていましたが、その少し下に弁財天神社があり、稲荷神社の小社と併祀されています。

この弁財天神社は元文元年(1736)の冬、当時鯨方として全盛を誇った角右衛門頼雄が弁財天の霊像(神仏の描かれた像)を得て、これを宇賀神将王菩薩大弁財天尊として尊崇し、それをご神体として創祀したものと伝えられています。

口伝によると、勝浦の弁天島に鎮座していたものが、祀る人がなく荒廃していたものを角右衛門頼雄が引き取って祀ったという話もあります。

以来、由緒はよくわかりませんが、鯨方では孕み鯨(妊娠中の鯨)を捕る毎にこの小社に奉納し。延享、宝暦の頃までは怠らず供養をしていて、その祈祷文が未なお飛鳥神社に秘蔵されています。

 

毎年旧暦の二月一日に例祭が行われています。

妙見神社

太地町史に記述のある神社。

町史によると、祭神は青彦神(妙見菩薩)。仏教系の神で北斗星を神格化したものです。

国土を擁護し災害を減除し、人の福寿を増す神であり菩薩です。

妙見と呼ぶのは仏教系のうちでも日蓮宗の系統を引くものだそうです。

 

とても細い路地の奥にあり、標識も何もない階段を登って行って、途中にひっそりとあるため、とてもわかりにくいと思います。
地元の人でもあまり足を運ばない場所のようですが、ここから見る町並みはとても味わい深く、是非見て欲しい景色でもあります。

なお、途中の階段をそのまま登り続けると、飛鳥神社の横の階段に出ることができます。
定期的に草などは刈られていると思いますが、足元にはお気をつけ下さい。